2018年4月、大相撲舞鶴場所で市長が倒れ、救命に向かった女性に対し土俵から降りるように、といわれたアナウンスにつき
色々批判も出ていますね。
なぜ土俵に女性が上がることは禁止されているのでしょうか。
横綱が四股を踏むことには地鎮祭の意味がふくまれているといいますが、「そんな、神聖な場所だから」という話や
女性の神様に五穀豊穣を願って若い男たちが力を競いあうとされていたため、そこに女性が混じってしまうと
女性の神様がやきもちをやいて機嫌を損ねてしまうから、という話など、なるほど面白いなという内容の理由があるようです。
40年前の話になりますが、1978年、10歳の女の子が「わんぱく相撲」で勝ち進んでいたのに、女性は国技館の土俵に上がれないという理由で勝負をあきらめたということがあったそうです。その女の子、いまはきっと50歳くらい。
このニュースをみて、きっと昔のことを思い出されたのではないでしょうか。
危険がある場合など以外は、どんな理由があっても、がんばってきたこどもの夢はそのような「規則」でくじかないでほしいし、
せめてそこまで勝ち進んだ、「勝利の女神に祝福された少女だから今回はOK」ということにしてあげてほしかったなと思います。
他にも女性が土俵にあがれなかった件として
2000年には、太田房江大阪府知事が「土俵に上がり自分の手で優勝トロフィーを渡したい」とされたそうですが、日本相撲協会が拒否したということです。
まあ、いろいろご意見はあるのでしょうが、これに関してはルールなら仕方ないかな。
だって、女子更衣室は男子禁制でしょう。性別で入れないところって、あってもいい気が個人的にはします。
着替えと相撲を一緒にするな、という話もあるでしょうが、女性専用車両だってありますよね。
あちらは任意協力らしいですが。
世の中には女性だけ安くなるチケットや、女性だけが泊まれるホテルもわりとあります。
だから、一方的に差別されて損してるとは思わないのですがなんとも難しい問題ですね。
市長の問題にしても、仕方ない、と思うだけで、それでいいんだ、とは全く思いません。
私も女性ですし、女性だからと拒否されるのはいいことではないなとは思います。
ましてや今回の土俵の問題は、人命がかかっていたのですから。
土俵に女性もあがれて当然!と思ってしまいますよね。
でも、反対に、行司の方からすると、そこで何も言わずにぼーっと見ていたら
何やってたんだ、という声も必ずどこからかは出てくるでしょうし
とっさのことにどう対応していいかわからなかったのかもしれないとも思うのです。
実際、客席から「女性が土俵にのってていいのか」という声もあったとききました。
人命より伝統や規則を優先させた発言で今回のアナウンスはよくない、という意見ももっともではありますが
伝統や規則を守るべくそこにいる職業の方が、とっさにパニックになることも
あると思いますし、適切な判断でなかったにしても、そんなに批判すると少々
気の毒な気がした今回の一件でした。
でも、伝統とか歴史の、神様がどうのという理由って、意外と実は他に理由があって、
誰かを守るためのこととかもありますよね。
男のようなことをして「はしたない」、などといわれたりするのも、女性を目立たせないための
昔の人の知恵とも私は思うのです。
これは完全に個人的な思いなのですが、土俵は目立ちます。
女性が立って、望まない誰かに見初められてしまったりして、厄介なことに巻き込まれないように
考えた先人の理由が、女性の神様を祭るために男だけしか乗れない、だったのかもしれないなあと
思ったりするのです。
遠いアフリカのとある地方では、成長して胸が大きくなると胸に焼けた石をあてて大きくならないように
やけどさせるの習慣があるのをご存知ですか?
将来的に授乳が困難になったり、細菌が入って感染を起こしたりと、方法としては問題がない習慣ではないのですが
これも年頃の娘を男の視線から守るために考えられた知恵だとも言われています。
私は、今回の伝統と歴史をみて、そんなことを思い出していました。
全く関係ないかもしれませんけどね。